2009年09月14日
善光寺 勝手な考察 18,「難波の堀江」発見
先日の奈良への旅で、飛鳥の地で観光地めぐりをしていた折、タクシーの運転手さんに「長野から来た」と告げたら、藤原京があったところに善光寺ゆかりの地があるので案内すると言われ、「難波の堀江とは何処なのか」の疑問が解けました。
(善光寺公式ホームページには)
『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座いたしました。
(さて、難波の堀は大阪か?)
素人が「難波の堀江」の言葉だけで考えれば、浪速の地「大阪・難波」かと思います。ただ、百済・隋との外交の地であっても、都があった飛鳥の地から遠いので一抹の疑問を抱くのは当然であります。都に国司の従者として労働に従事しに行った本田善光が何故浪速の地まで出向いたのかわからないでいました。
(難波池の由来)
南原寺の境内にある池には次のような案内板がありました。
「南原寺(豊浦寺)の一角に「難波池」と称される池がある。この池は「日本書紀」欽明天皇十三年仏教伝来の記事に廃仏派の物部尾輿(もののべのおこし)が仏像を投げ込んだ難波の堀江であるとの伝承をもつ、そして後世の記録にはこの仏像が信濃(長野県)善光寺に祀られたという善光寺縁起として語りつがれている」
成る程、ここなら今まで抱いていた疑問が応えられるとん納得しました。このことを知っただけでも奈良を訪ねた価値があったと内心うれしく思いました。
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Posted by 税理士の星野 at 05:35│Comments(0)