2009年04月12日

善光寺 勝手な考察  9,徳川大奥とのご縁

 善光寺本堂の奥に、徳川家墓地があります。徳川家光夫人本理院や家光の乳母春日局など、徳川将軍大奥関係者の供養塔があります。さて、大奥の方々と善光寺の関係は如何なるものだったのか?


(ご開帳との関係は・・・若麻績侑孝善光寺淵乃坊住職講演録)

 回国開帳は日本各地の国々を回って開帳することで、最も名高いものが現在の本堂再建のための浄財勧募に行われたもので、実に5年余りの長期間にわたって行われた。この回国開帳を執行した大勧進住職慶運は元禄13年12月江戸駒込大保福寺・谷中感応院住職であったが特旨を持って大勧進住職に補された。慶運は老中柳沢出羽守の甥と称して幕府の後ろ盾を思わせ権力を振るうことも出来たと思われる。時に38歳であった。


(徳川家との結びつき・・・善光寺の謎 宮元健次著)

 善光寺経蔵(重要文化財)には、綱吉(徳川将軍五代)の息災延命祈願のための「大般若波羅密多経」600巻が納められており、大奥の女性52名の名が列記されている。・・・

 一方家光以降、善光寺住職が三年に一度、江戸城に登城して、将軍に謁見する習わしが生まれ、そのための江戸宿坊として谷中善光尼寺を徳川家が与えている。これは元禄時代に焼失したが、・・・その後宿坊は青山善光寺として再興されている。


(その効果は絶大!)

 徳川家の後ろ盾は善光寺経営に行政的支援を得られただけでなく、回国開帳に際しては度々、大奥江戸城から谷中までの、きらびやかな姫駕籠の行列は江戸庶民に善光寺の御利益の大きさを知らしめる宣伝効果は絶大でありました。信州善光寺への信者「講」の組織化と参拝客の増加をもたらし、現在の本堂を再建する浄財寄進に結びついたことでその大きさを知ることができます。当時の善光寺住職の政治力と企画力に敬服します。


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Posted by 税理士の星野 at 11:47│Comments(0)
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