2009年04月27日

善光寺 勝手な考察  11,源頼朝公伝説

 今回は、誰もが理解できる伝説上の人物:源頼朝公と善光寺の関係をご紹介いたします。頼朝公は、全国的な武家政権を始めて実現させた人物で、武田信玄(甲斐善光寺)、上杉謙信(浜善光寺)、織田信長(伊奈波善光寺)、徳川家康、豊臣秀吉から崇拝され、ご縁のある善光寺本尊は戦国時代42年間にわたり争奪戦をもたらしました。そのことは、武将の「あの世を保障してくれる阿弥陀如来」への信仰の強さを庶民に印象づけました。


(頼朝に関係する場所)

 あの世との接点結界(けっかい)の場所「駒返橋」、焼失した善光寺を修復した頼朝でさえ乗馬のまま現在の仲見世を通り過ぎ三門に向かうと霊界の力(仏罰)で、馬の足が折れ下馬せざるを得なかったという言い伝え。
 また、頼朝は善光寺の裏手で庵を建て亡くなった頼朝法師が先生(せんじょう)生まれ変わりと云われ、その法師の持仏を安置した静松寺(せいしょうじ)には寺領を寄付された。山号は頼朝山で、その裏山を頼朝山として今日でも市民に親しまれています。
 頼朝が美しい調べとよい香りを感じて「阿弥陀仏」と10回唱えたとされる地、頼朝山十念寺。
 頼朝の妾・お安姫、逗留した御所跡、神餞(しんせん)を受け取った守田神社など長野市内に頼朝公の伝説の場所があります。


(貴人との関わり)

 宮内庁御用達ではありませんんが、庶民は貴人に憧れることは事実であります。善光寺大本願の住職は皇族のお姫様であり、頼朝公を始め貴人の、善光寺の御仏縁の有り難さを示す伝説がたくさんあります。今日でも、天皇陛下始め皇室の方々がご来所された写真を掲げられることは名誉と感ずるのが日本人であります。お店に有名人の来店写真も同じ思いかもしれません。



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Posted by 税理士の星野 at 04:45│Comments(0)
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