2009年05月07日

善光寺 勝手な考察  14、女たちと善光寺

 連休に、善光寺ご開帳に合わせて開催された、長野市立博物館「女たちと善光寺」の展示を見学してきました。そこで学んだ事柄をお伝えします。「善光寺縁起」によれば、善光寺さんは京極天皇(女帝)を地獄からお救いし、お寺の成り立ちから「女性救済説話」があり、女性とのかかわりは深いとされています。


(自立した女性たち)

 展示の始まりは、「天台宗の僧、慈円は「愚管抄」という書物の中で、東に北条政子、西に藤原兼子という女流政治家の活躍を見て、「女人入眼の日本国、イヨイヨマコト也」と述べている。「入眼」とは、「成就」の意とされ、日本の国の仕上げをするのは女性だという意味である」との案内から展示が始まっていました。事実、室町初期の能役者 世阿弥も、戦もなく平和な時代、経済力を身に付けた女性の活躍をみて、「女時(めどき)」と花伝書で表現しております。「三界に家無し」と云われいましたが、事実は自立した女性が善光寺信仰発展の担い手であったとのことであります。


(女人救済信仰の広がり 大本願)

 「中世後期になると、それまで救いを求めて善光寺を訪れる女性の姿に加え、善光寺で布教活動を行う女性も現れるようになる。当時の善光寺は度重なる火災に遭い、そのたびに伽藍の再建を行うが、その費用を捻出するため活動した勧進聖の中にも女性の宗教者が現れる。彼女たちは本願上人や本願房と呼ばれ、その組織は大本願と呼ばれた。大本願はやがて善光寺の経営にも関わるほどの大きな役割を担うようになり現在に至っている」とありました。善光寺の始まりは、本田善光・弥生・善佐の住まいに善光寺さんを安置されたことが始まりとされています。それが尼門跡にまで寺格を上げた陰に、多くの女性の活躍があったことを知りました。


(女時の組織つくり)

 善光寺さんは、女人救済を説き、自立した女性参拝者を増やして、女性自らが大本願という尼門跡になるまで力を持ち、善光寺経営を担ってきました。そんな善光寺さんには「親鸞を宗祖とする浄土真宗、一遍を宗祖とする時宗など、宗祖の善光寺参拝を巻物や絵解きに仕立て、善光寺信仰を内部に取り込み、教団の発展に活用する動きが見られる」と案内がありました。事実、現代の宗教教団でも、女性タレントを広告塔にして組織拡大を図っている先駆けであります。


(女性に受け入れられること)

 事業も一つの組織と考えれば、女性の活躍が期待できる組織風土を創り上げないと発展はおぼつかないことは明白であります。如何に女性顧客に気に入られるか、女性構成員・スタッフに活躍してもらえるかの仕組みは、大事な発展要因であることを善光寺さんは教えています。



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Posted by 税理士の星野 at 06:05│Comments(0)
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